阿波十郎兵衛屋敷についてAbout us

日本人の感性が息づく芸能「阿波人形浄瑠璃」

人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」は、1698年に罪状も明らかにされないまま藩の政策上の犠牲となって処刑された庄屋、板東十郎兵衛の名を借りてつくられたお家騒動の物語。阿波十郎兵衛屋敷は、板東十郎兵衛の屋敷跡であり、「傾城阿波の鳴門」ゆかりの場所なのです。阿波十郎兵衛屋敷では「傾城阿波の鳴門」をはじめ国指定重要無形民俗文化財「阿波人形浄瑠璃」を毎日上演しています。

情感を込めて物語る太夫、五線譜には表せない多彩な音色で語りを支える義太夫三味線。そして世界に比類のない三人遣いで操られる人形。そこには、私たち日本人の感性が色濃く息づく芸能を心ゆくまでお楽しみください。
コンセプト

阿波十郎兵衛屋敷では、阿波人形浄瑠璃の特色と、人形浄瑠璃を育んだ徳島の風土や歴史をしっかりと踏まえ、人形浄瑠璃を中心とする日本の文化を楽しみ、日本人の感性に触れることのできる場所を目指しています。
毎日2回の定期公演に加え、さまざまな演目の特別公演、人形浄瑠璃鑑賞講座などを開催するとともに、人形浄瑠璃の新たな魅力を引き出すことを目的に、様々な芸術表現と人形浄瑠璃のコラボレーションを実施したり、新作の人形浄瑠璃をつくったり、生花やお茶、藍染、和紙、水石などの講座や展覧会も行っています。

また、阿波十郎兵衛屋敷の施設内にとどまるのでなく、人形浄瑠璃を、まちづくりや地域の活性化につなげていくため、県内外で出張公演を行ったり、農村舞台の保存・活用を支援したり、吉野川〜阿波藍〜阿波人形浄瑠璃とつながる徳島の文化史をたどる市内観光ツアーを企画するなど、常に新しいアイデアと柔軟な発想で運営していきたいと考えています。

人形浄瑠璃の国とくしま

徳島の人々は、何百年もの間、自然に寄り添う暮らしの中で、どこにも増して人形浄瑠璃という芸能を大切にしてきたと言えるでしょう。
全国の神社の境内には、鎮守の神に芸能を奉納するための舞台が多数ありますが、大きく分けて能、歌舞伎、人形芝居の3つの用途に分類されます。角田一郎博士らを中心に昭和42年から実施された農村舞台の全国調査で、徳島県には、全国の人形芝居のための農村舞台の9割以上に当たる208棟が現存していることが確認されました。平成25年の調査時点では、88棟にまで減少したとは言え、その数は全国トップであることに変わりはありません。そして今も、毎年10カ所前後の農村舞台で人形浄瑠璃の公演が行われているのです。

また、正確な調査が行われたわけではありませんが、現在活躍している人形座や太夫部屋の数、人形をつくる人形師の数も群を抜いて多いのが徳島です。阿波踊りで有名な徳島ですが、実は全国有数の「人形浄瑠璃の国」でもあるのです。


阿波人形浄瑠璃の特色

阿波人形浄瑠璃は、義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、3人遣いの人形の三者によって演じられる人形芝居で、徳島が全国に誇る伝統芸能として現在まで受け継がれています。
徳島では、吉野川流域の藍作地帯で、淡路の人形座が小屋掛けの舞台をつくって興業を行い、県南部の勝浦川、那賀川、海部川などの流域では神社の境内に建てた常設の農村舞台での公演が頻繁に行われました。いずれも野外での公演であったことから、文楽と比べて一回りも二回りも大きな、光沢のある塗りの人形を使い、観客にアピールするよう前方に突きだし大きな振りで演じられたと言われています。
また、人形制作が伝統的に栄えたことも大きな特色です。阿波の人形座はもちろん全国を巡業する淡路の人形座に提供するため、天狗久や人形忠、人形富など多数の優れた人形師を輩出し、今も多くの人形師が活躍しています。

さらに、二つの箱に人形を入れて天秤棒で担いで運び、人の集まる街角などで公演を行ったり、三番叟やえびすなどの門付け芸を行う「箱廻し」は阿波独特の興行形態であると言われています。


徳島の風土が支えた芸能

吉野川の豊かな流れがあってこそ栄えた徳島の街。暴れ川と呼ばれ毎年のように氾濫を繰り返した吉野川は、その見返りに四国山地の肥沃な土を運び続けました。その土は、全国の市場を支配し、莫大な富をもたらした阿波藍を育てました。徳島は、阿波藍による経済力や、藍の取引を通じた全国各地との交流を背景に発展を続け、明治23年に徳島市は人口約6万人、全国で11番目の大都市として繁栄したのです。
吉野川は、藍だけでなく豊かな農産物、水産物を育みました。その流域は、今でも「鳴門金時」や「れんこん」「しいたけ」「カリフラワー」などが全国有数の生産量を誇り、「関西の台所」と言われる農業地帯です。また、吉野川の河口で採れる鮮やかな緑色の「スジ青のり」は、全国の約9割を生産しています。
このような吉野川の豊かさを背景に、人形浄瑠璃や阿波踊りなどが栄えた「芸所」が徳島なのです。吉野川流域では、江戸時代から徳島藩主や藍商人の後ろ盾を得て、淡路の人形座が、小屋掛けの仮設舞台で頻繁に興行を行いました。やがて吉野川流域から県南の山間地域にも伝わり、そこでは村人たちが、材料や手間や費用を負担しあって神社の境内に舞台を建て、人形座をつくり、春秋の祭りに鎮守の神に人形浄瑠璃を奉納しました。五穀豊穣に感謝し、家内安全を願う山の暮らしを支えてきたのは、杉や檜の木、柚子、手漉き和紙、干し柿など山の恵み。ここでも徳島の風土や歴史が、阿波人形浄瑠璃の発展に大きな役割を果たしてきたのです。


農村舞台の魅力

海岸に近い平野部にも農村舞台はあるが、その多くは勝浦川や桑野川、那賀川、海部川流域の山あいの集落にあります。棚田や段々畑、地元の木材で建てられた民家など、自然の地形に逆らわず、必要最小限の人手を加えて開かれた美しい集落の中、鎮守の森に囲まれた人形芝居の舞台が100棟近く残っています。
神社の境内は、江戸時代に多くの人が集まることが許された数少ない場所。祭りの日には、大きな重箱に、お寿司や煮しめ、ういろうなどを詰めて、農村舞台に集まり、隣同士で料理を交換しながら一日人形浄瑠璃を楽しんだのです。春には満開の桜や輝くような新緑の中、秋には紅葉やはらはらと舞い落ちる木の葉とともに、収穫に感謝し翌年の豊作と家族の健康や幸せを願って・・・。
阿波の農村舞台の大きな特色に「襖からくり」があります。元々は人形芝居の背景に使われた襖絵が徐々に発展し、農村舞台の人気の演目となったものです。左右に引くだけでなく、回転させたり、滑車で上へ吊り上げたり、様々な技法で襖絵を転換して見せ、最後には遠近法で描かれた千畳敷の大広間が現れるという趣向です。

地域の人々が力を合わせて準備し、運営し、出演もする農村舞台の公演は、住民の大きな楽しみであり、農山村の暮らしに欠くことのできない「地域の連帯感」を育む重要な機能を果たしてきたのです。


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