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恋女房染分手綱 -重の井子別れの段-
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近松門左衛門が丹波与作の伝記をもとに書いた「待夜小室節」が原作。全十三段で、十段目が「重の井子別れ」。
由留木(ゆるぎ)家の息女調姫(しらべひめ)は、関東へ下って入間家へ嫁入りすることになるが、幼い姫は父母に別れて東国へ下りたくはない。出立の間際になって「いやじゃ」と言い出し、そこで姫の機嫌を直すために玄関から呼び込まれたのが、自然生(じねんじょ)の三吉と呼ばれる子供の馬子。三吉の話から姫は東国へ興味を持ち、出立する気になる。
三吉に褒美を与えようとした乳人重の井は三吉こそ、別れた夫伊達与作との間にできた一子、与之助であることを知る。かつて調姫の母に仕える腰元だった重の井は、同じ家中の伊達与作と不義密通。後家の御法度を犯した罪で二人とも死罪になるところを、重の井の父定之進が切腹して愁訴し、調姫の母が重の井と同時に出産して乳人が必要という訴えによって与作は追放、重の井は乳人になった。
そうした事情がある以上、いま三吉と母子と名乗ることはできない。もし乳人に馬子の子がいるとなれば、調姫の縁談にもひびきかねない。この結婚はあくまで政略結婚であるから、不調となってはお家の存続にも関わる。重の井は泣く泣く三吉を追い返し、調姫とともに東へと旅立って行くのであった。
見所はまさに_子別れ_。母と子が名乗ることもできずに別れるという話は「傾城阿波の鳴門」にもあるが、「重の井子別れ」は、その典型。
 
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